元・金融OLの本棚

金融業界に返り咲きました。つれづれなるままに読んだ本について語る読書ブログ。

存在の耐えられない軽さ

『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ(千野 栄一 訳)

オススメ度 ★★★☆☆

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こちらも友人たちとの読書会のために読みました。

チェコの亡命作家ミラン・クンデラによる世界的ベストセラーとのことですが、恥ずかしながら、友人に紹介されるまで知りませんでした…。皆さんが読まれたことがありますか?

クンデラチェコの作家ですが、ソ連の抑圧から逃げるために、フランスへ亡命します。『存在の耐えられない軽さ』はその亡命生活の最中に執筆された作品で、当初はクンデラ母語であるチェコ語で執筆されました。しかし、フランスでの亡命生活が長くなり、フランス語にも通じるようになったクンデラは、のちに加筆・修正をおこない、フランス語で本作品を執筆しなおしたものを世に出します。日本語では、チェコ語からの翻訳とフランス語からの翻訳と、両方を読むことができます。今回、私が読んだのはチェコ語からの翻訳ですが、興味のある方は、加筆されたフランス語の方も手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

●重さか、軽さか
『存在の耐えられない軽さ』では、冒頭にニーチェやパルメニーデスの思想に言及し、そこから「重さか、あるいは、軽さか?」という大きな問いをまず読者に投げかけます。

考えてみれば、本書の『存在の耐えられない軽さ』という題名は非常に奇妙で、いうなれば『由緒ある野良ネコ』のような矛盾を含んでいるように見えます。耐えられない「重さ」ということはあっても、耐えられない「軽さ」という言い方はあまりしません。しかし、こと人間存在に関しては、「軽さ」がポジティブに語られるとは限りません。われわれにとって一度きり、不可逆な人生の「重み」は比類ないもののはずであり、それが「軽い」もの、無意味なものであるということは、耐えられないほどの悲しみであるに違いないからです。

一方で「重さ」ばかりの人生、何かに束縛されてばかりで、身軽さのない人生というものの悲哀も想像に難くありません。つまり、人間の存在や人生という文脈において、「重さと軽さのどちらが肯定的か?」という問いに一定の答えは存在しないのです。

本書の登場人物たちも、それぞれの選択をおこない、それぞれの人生を歩んでいきますが、その人生が「重さ」を指向するものなのか、「軽さ」を指向するものなのかは、一概に断言ができないように思います。そして、彼らの人生はそれぞれにとって一度きりかつ不可逆であるという点で、非常に「重い」ものとも考えられますし、有象無象の人間たちのうちの何人かの人生であり、読者とはなんの関係もない人生であるという意味では、耐えられないほどに「軽い」ものだとも言えます。

 

●大行進

本作は「重さか、軽さか?」というメインテーマを下敷きに小説のストーリーが展開するかたわらで、共産主義などの様々な事象に対して、クンデラが思索を思いめぐらせた思想の断片のようなものが随所に散りばめられています。その中でも、第6章「大行進」の章は、ストーリーとしても面白いとともに、共産主義に対する戦いの中に実際に身をおいたクンデラだからこその考察が記述されていて、非常に印象的でした。

以前、このブログでもオーウェルの『1984』について記事をあげましたが、アンチ共産主義を小説という体裁のなかで行うという意味では、この『存在の耐えられない軽さ』の方が成功しているように感じます。『1984』のように直接的な拷問のシーンはなくても、主要な登場人物たちが秘密警察のスパイにおびえ、疑心暗鬼になる恐怖は、本書の方が真に迫るものがあります。また、『1984』の最後のシーンが描写しようと試みたものは、本書の「大行進」の章のはじめの方がより深く、分かりやすく伝えているように思えました。

 

『存在の耐えられない軽さ』は、ストーリーを楽しむ小説というよりも、クンデラの思想の断片を記述した、小説の体裁で書かれた哲学書、という趣が強い一冊です。ストーリー自体も時系列がわざとぐちゃぐちゃになっており、その合間にクンデラの思想の断片が入り込んでくるので、一筋縄ではいかないタイプの小説ですが、非常に鮮烈な印象を受ける部分もいくつか見つけられると思います。その一方で、全体を流れるなにか物悲しい空気も趣深い小説でした。