元・金融OLの本棚

金融業界に返り咲きました。つれづれなるままに読んだ本について語る読書ブログ。

変身

『変身』フランツ・カフカ(高橋 義孝 訳)

オススメ度 ★★★★★

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前回の『存在の耐えられない軽さ』につづき、はからずもチェコ人作家による作品についての記事が連続してしまいました。

一般的には、ミラン・クンデラよりもカフカの方が有名ですね。不条理を描く作家として知られ、この『変身』は個人を襲う不条理を書いたとされます。世界的にも有名なカフカ、しかもその代表作とあれば読んでみなくては、とずっと思っていたので、今回はこちらを読んでみました。

●ひとりの男が、虫になってしまうという不条理
本作品を読んだことがない皆さんも、主人公のグレーゴル・ザムザがある朝目覚めると、自分が一匹の巨大な虫に変わってしまっていた…という設定はご存知の方が多いでしょう。

ところが、この作品を読むとお分かりになると思うのですが、ザムザが何の虫になってしまったか?を想像するのが結構難しいのです。「鎧のように堅い背」「褐色の腹」「腹の上には横に幾本かの筋」「たくさんの足がか細く、ぴくぴく動いている」といった、虫の姿についての描写は相応にあるのにもかかわらず、です。一番可能性が高いのはムカデのような気もしますが、バッタのような昆虫のような気もします。

私が読んだ文庫のあとがきには、有村 隆広氏による解説がついているのですが、その解説によると、どうもカフカは、虫の容姿について、読者に写実的なイメージを持ってほしくなかったのでは、と思わせる節があります。

……この前のお手紙では、オトマル・シュタルケが『変身』の扉絵を描くはずだとのことでした。私はそのことでびっくりしております。……つまり、シュタルケはいつも写実的に、実際どおり描いておりますから、彼はたとえば昆虫そのものを描こうとするかもしれないと、そう考えたわけです。それだけは駄目です。(中略)昆虫そのものを描くことはいけません。遠くの方からでも、姿を見せてはいけません。

主人公が虫になる、というのは本作品の圧倒的な「肝」であるにもかかわらず、その昆虫の容姿はある意味どうでもいい、主題ではない、というのはなんだか不思議な気がしますよね。

おそらく、本作品でカフカが描きたかったのは、ひとりの男が虫に変わってしまうというそのドラマよりも、家族を養うためにつらい仕事にもめげずに働いていたひとりの男が、何の理由もなく突然虫に姿を変えられてしまい、悲しい運命をたどらざるをえなくなる…という不条理そのものであったのでしょう。究極的に言えば、変身後の姿が虫でなくても、さらにはザムザが虫に変わるという設定すら、カフカが描こうとしていたものが描けるのであれば、別のものでも良かったのかもしれません。

 

●ザムザと家族の運命

ザムザが虫に変えられた直後は、まだザムザに「人間らしい」思考が残っています。物語の序盤から中盤にかけては、虫に変わってしまったことを家族や職場に知られたらどうなるか、虫に変わってしまった自分はこの先どのようにすればいいのか、といったザムザの苦悩についての記述が多く見られます。

さて、気持ちの悪い虫に変わってしまったザムザの世話を引き受けたのが、ザムザの妹のグレーテです。世話をしてはいますが、やはり目の前にいる巨大な虫が兄のザムザだということを、頭では理解していても嫌悪感はぬぐえません。それは、ザムザの父母も同じことです。

物語の中盤あたりから、ザムザは次第に人間としての思考を失っていきます。それにしたがって、ザムザの視点からの記述が徐々に減っていき、家族の様子の描写や、家族の視点からの記述が増えていきます。ザムザは、自分が働かなければ家族が生きていけない、と考えてつらい仕事に耐えていたのにもかかわらず、ザムザが働けなくなったことで「このままではいけない」と逆に生命感を獲得していく家族の姿を見るのも、ザムザからは自分の人生が無価値だったと突きつけられているようなものかもしれませんね…。

ラストシーンは、ザムザの家族の再出発とでも言うべきシーンです。しかし、上述の通り、読者はもはや滅びゆくザムザの視点でなく、ザムザの家族の視点(特に妹のグレーテの視点)からも物語を見ているので、ラストシーンでは悲しみのなかにも、一種のすがすがしさが読み取れるでしょう。

 

ドラマチックなストーリーがあるわけではないのでエンタメ的な面白さはあまりないのですが、ページ数も少ないですし、難解なお話でもないので、サクッと読めてオススメです。

不条理文学と言われているので、かなり悲しい最後を予想していたのですが、読了後はひとさじの爽やかさを感じるような後味を残すお話なので、重たい気持ちにならずに読めるかと思います。