元・金融OLの本棚

金融業界に返り咲きました。つれづれなるままに読んだ本について語る読書ブログ。

リラとわたし

『リラとわたし ナポリの物語1』エレナ・フェッランテ(飯田 亮介 訳)

オススメ度 ★★★★★

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2022年一発目の記事は、イタリアの現代作家エレナ・フェッランテによるベストセラーで始めたいと思います。

 

●あらすじ

主人公エレナは地区の小学校でもずば抜けて頭がよく、本人もそれを誇りに思っています。しかし、ある日同級生のラッファエッラ(以下リラ)が自分よりも鋭い頭脳を持っていることが分かります。「性格の悪い」リラのことを最初は好きになれないエレナでしたが、とある出来事を機に二人は固い友情を築いていきます。成長するなかで道を分かつ二人ですが、主人公エレナはリラの聡明さに嫉妬を覚えつつも「リラのことを理解できるのは私だけ」という自負を持っており、リラのほうも「やはりエレナは自分にとって特別な友人だ」と考えています。異なる環境に身をおく二人は、ときに互いに嫉妬し、刺激を与えあいながら、閉鎖的で暴力的な地区にあって自分の人生の幸福を見出すためにもがくのですが…

 

 

この『ナポリの物語』シリーズは全4冊のシリーズもので、その1作目となる『リラとわたし』には、主人公エレナの幼少期から思春期が描かれます。ちなみに、主人公と作者は同じ「エレナ」ではありますが、『ナポリの物語』シリーズが自伝的要素を含んだ作品かどうかはわかりません。作者であるエレナ・フェッランテについては、一児の母でありナポリ出身である以外の情報は公開されておらず、「完成した文章は自己充足的な生き物である」というスタンスを守り抜いているからです。寡作なところもあいまって、なんだかフェルメールのようなミステリアスな雰囲気の漂う作家ですね。

 

さて、本作の魅力はなんといっても、描写の瑞々しさではないでしょうか。

エレナとリラは確かに唯一無二の親友ですが、エレナの一人称から語られるリラの描写は、羨望や嫉妬の感情にあふれています。いくら互いに良き理解者と解している友情関係を結んでいる者でも、相手が自分にないものを持っていたり、相手が自分を差しおいて幸せを手に入れようとしたりしているとき、誰しもそこに焦りや羨望を感じ、落ち込んだり、自分だって相手に負けないようなものを持っているという見栄をはろうとしたりするものですよね。幼少期から思春期にかけては、なおさらその傾向が強いと思います。そんな友情のなかの緊迫感が本書にはしっかり描かれていて、読者のほうでも自分の経験が思い起こされ、エレナの生の感情が自分の身の内側に想起するのを感じるでしょう。

友情の緊迫感だけではなく、「どうしてこんなものに恐怖を抱いていたんだろう?」というようなものに対して子どもの頃に抱いていた極めて主観的な恐怖であったり、思春期を迎えて自分の身体が大人になる準備を始めていくなかでの戸惑いだったりの描写が卓越しています。大人になった現在では感じなくなった感情が、もう一度自分の眼前に差し出されるような気持ちになった読者が多いのではないでしょうか。

加えて、さすがナポリ出身の作家というべきか、当時のナポリの描写への評価も高いです。現地に旅行に行かれた方ならお分かりかと思うのですが、ナポリって、フィレンツェやミラノのような北イタリアの都市とはまったく別の雰囲気を持っていますよね。北イタリアの観光都市と比べると、良くも悪くも粗けずりな印象を受けます。『リラとわたし』で描かれるナポリはさらにディープで、ナポリのなかでも閉鎖的で暴力的な比較的貧しいと思われる地区です。多くの日本人は1950年代のナポリなど知らないと思うのですが、『リラとわたし』はタイムカプセルを開けるように、ずっとしまわれていた当時のナポリの空気を読者に感じさせてくれます。

 

ミステリーのようなドキドキハラハラはありませんが、ジュンパ・ラヒリの書評通り「リラとエレナの生涯を最後まで知りたい、それ以外に何もしたくない」と思うほど、いつの間にかどっぷり浸かってしまう作品です。多少長いのですが、読みごたえのあるヒューマン・ドラマを読みたい方はぜひ手にとってみてはいかがでしょうか。