元・金融OLの本棚

金融業界に返り咲きました。つれづれなるままに読んだ本について語る読書ブログ。

茶の本

茶の本』岡倉 天心(桶谷 秀昭 訳)

オススメ度 ★★★★☆

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今回は読書会に向けて読んだ『茶の本』です。

茶の本』は、岡倉天心が西洋人に向けて日本の精神性を紹介するために英語で著したもので、ゆえに日本人の著作にもかかわらず訳者が存在しています。言語は英語ですが、取り扱っているものが日本や中国の精神世界で和歌や漢文の引用も多いので、日本人にとっては翻訳の方がすっと入ってくると思います(岡倉天心は翻訳という行為が嫌いだったようですが…)。

 

内容は、茶の湯だけではなく、華道や建築、美学や哲学というところにまで及んでいるので、純粋に茶道のあれこれについて知りたいという場合には不向きかもしれません。しかし、茶道の様々な作法やしきたりの根っこにあるメンタリティを知るには最適です。

 

岡倉天心は「脱亜入欧」の時代において、ヨーロッパの精神に欠落していて日本(と中国)の精神が持っているものについて述懐します。とにかく何がなんでも「優れた」ヨーロッパのものを取り入れようという世相に、痛烈なノーをつきつけたのが次の言葉でしょう。

もしもわが国が文明国となるために、身の毛もよだつ戦争の光栄に拠らなければならないとしたら、われわれは喜んで野蛮人でいよう。われわれの技芸と理想にふさわしい尊敬がはらわれる時まで喜んで待とう。

 

ヨーロッパの精神性にないもののなかでも、第3章「道教と禅道」で語られている東洋古来の考え方に驚きました。

道教の「絶対」は「相対」であった。…(中略)…われわれの道徳の規準は社会の過去の必要から生まれる。が、社会はつねに同じ状態のままでありうるだろうか。

西洋では、古くから究極的な答えを求める傾向にあったように思います。例えばギリシャの哲学者は万物のもとは何であるかについて議論を様々に戦わせました(「万物が流転する」と語ったヘラクレイトスはこの道教的な見方に立っているとも言えますが)。多くは「これこそが至上の考え方である」というものを求め、答えを導くことに必死で、変化自体をひとつの世界の本質と考える思想はニーチェ永劫回帰のあたりまで待たなくてはならなかったように思います。

 

日本も「脱亜入欧」の流れに飲み込まれ、岡倉天心がといたような東洋的な精神は大部分が忘れ去られてしまいました。しかし現代世界に目を向けてみると、西洋的なイデオロギーでは包括しきれないものの「歪み」のようなものが、ここにきて随所で顕在化しているように見えます。現代に生きる私たちが覚えておかなくてはならないもののヒントが『茶の本』のなかにはあるのかもしれません。